伯耆 打吹山城


お城のデータ
所在地 鳥取県倉吉市打吹山(打吹公園)
遺 構 曲輪、石垣、桝形、櫓台、竪堀
形 式 山城 築城者: 山名師義 築城年代: 延文年間


見 ど こ ろ
 打吹山城は、倉吉市のシンボル打吹山に築かれ、北に小鴨川・東に竹田川を堀とした城だ。打吹公園に接してある市役所・成徳小学校一帯が近世倉吉陣屋があった場所で、道路に沿って陣屋の石垣が残っていた。

 打吹公園から遊歩道が山頂の打吹山城本丸へと続いている。これが結構きつい坂道が続く。途中、越中丸脇に櫓風の展望台がある。(ここまで麓から20分)

 山頂の本丸は、腰曲輪を含めて6つの曲輪からなる主郭部を構成している。天守台と呼ばれる櫓台下には僅かであるが石垣が残る。山頂部主郭部は、あまり整備はされていないが、東側の曲輪群が山城の趣を今に伝えていた。


歴     史
 打吹山城は、延文年間に伯耆守護山名師義によって築かれ、田内城から守護所が移された。大永4年、出雲月山富田城主尼子経久の伯耆侵攻により山名氏の伯耆支配は終わる。

 天正8年、秀吉の鳥取攻めに対峙するため、吉川元春がこの城に入るが、天正10年、和議成立後は羽衣石城主南条元続の持城となった。

 慶長5年、関ヶ原の戦功により中村忠一が米子城に入ると、打吹山城へは城番が置かれた。慶長14年、中村氏が無嗣子により改易になると城は廃城となった。

 寛永9年、池田光仲が因幡・伯耆を領して備前岡山から鳥取城に入るとすると、次席家老荒尾氏をこの地に配した。荒尾氏は、打吹山の麓に陣屋を構え、明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線倉吉駅〜バス/打吹公園前
 車 : 山陰道琴浦東IC〜国道9号線〜国道313号線
駐車場: 打吹公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
伯耆守護職の居城だったお城。

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