近江 八幡城


お城のデータ
所在地 滋賀県近江八幡市宮内町
遺 構 曲輪、石垣、堀切、土橋、水堀
形 式 平山城 築城者: 豊臣秀次 築城年代: 天正13年


見 ど こ ろ
( 本丸虎口 )
( 本丸南西隅の高石垣 )
( 二の丸南面の石垣 )
( 出丸南面の石垣 )
 八幡城は、独立丘鶴翼山(別名八幡山)の山頂部と南山麓を利用して築かれている。東に安土城観音寺城を望む急峻な山容の八幡山は、安土城と同様に東西を琵琶湖の内湖に囲まれた要害で、山頂か北へと連なる丘陵には六角氏が築いた北之庄城がある。

 ロープウエーで山頂へ5分ほど。山頂駅の改札口を出ると目の前に二の丸の石垣が迫ってくる。今は、本丸跡に村雲御所といわれる瑞龍寺がある。 西の丸からは、比良山系の山々をバックにした琵琶湖が一望できる。

 【山頂部】
 山頂部の縄張りは、現在の瑞龍寺本堂が建てられる山頂部に本丸を置き、Yの字型に尾根筋にそれぞれ曲輪が配された縄張りで総石垣作りとなっている。本丸にはかつては中央東寄りに天守台があったと云われている。瑞龍寺の山門は本丸虎口に位置し、内枡形の遺構が良く残っている。

 本丸から東に伸びる尾根筋には、二の曲輪・三の曲輪が連郭式に並び、三の曲輪がロープウェー山頂駅となっている。本丸から南に伸びる尾根筋には西の丸・出丸が並ぶ。 近年樹木が切り払わて、西の丸・出丸の石垣が麓からも仰ぎ見ることができる。

 【山麓部】
 麓にある八幡公園内には秀次の居館跡がある。 大手道が真っ直ぐに居館まで設けられ、居館の高石垣が大手道突き当たりに立ちはだかっている。大手道の左右には家臣団の屋敷群が配されて安土城の大手道と同様の縄張りであった。屋敷群は現在は竹林となっているが、ここにも石垣の石垣などの遺構がよく残っていてる。

  また、日牟礼八幡宮の近くには、居館を取り巻く水堀(八幡堀)が今も残り、時代劇のロケでもおなじみで商家の蔵並とマッチして、観光スッポトとなっている。 


歴     史
( 豊臣秀次居館の桝形 )
( 豊臣秀次居館下段の石垣 )
 八幡城は、天正13年に豊臣秀次によって築かれた。天正13年に四国平定した豊臣秀吉は、甥の秀次に紀州征伐・四国征伐に戦功により近江八幡43万石を与えた。

 秀吉は、田中吉政を筆頭家老として八幡城に在城させ秀次の政務を仕切らせ、宿老として水口岡山城に中村一氏、長浜城に山内一豊、佐和山城に堀尾吉晴を置いて秀次を補佐する体制が整えられた。

 天正18年に小田原征伐後に家康の旧領への移封を拒否した織田信雄が改易されると秀次が尾張清洲城へと移り、代わって近江大溝より京極高次が28,000石を領して入った。その後、文禄4年に秀次が高野山で自刃すると京極高次は大津城へと移り、八幡城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線近江八幡駅〜バス/八幡山ロープウェイ前
 車 : 名神龍王IC〜国道477号線〜県道326号線/大房〜市道
駐車場: 日牟礼八幡宮前に(40台程度)


ひとくち MEMO
秀吉が近江の国城として築かせたお城。

滋賀県のお城
一覧表へ
トップページへ

近畿のお城
滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県